薄燈林

主に見た映画やアニメとかの感想をだらだらと

メメント

自分の外に世界はあるだろうか。

メメント」はノーランの初期の作品であり、巻き戻し、複雑な時間構成、緻密な会話といった、その後生まれる数々のノーラン監督作品の特異な映像表現の原液ともいえる。前向性健忘の主人公レナード(レニー)による、ある復讐の終点から起点へと逆向きに辿っていくこのストーリーは新鮮だったが、それよりも恐ろしさが勝ったと思う。

自分の世界、自分の現実、それらは間違いなく経験の堆積からなるものだ。体験を、咀嚼し、自分なりに解釈する。そうして今の自分が出来上がっていく。その解釈はどのようにして行われる?そのやり方はどこから学んだ?私は過去の自分によって作られている。

記憶には、3つのステップがある。記銘、保持(貯蔵)、想起だ。これらはそれぞれ、情報を覚えること、脳が情報を保存し続けること、情報を思い出すことを表す。レニーはこれらの内の「記銘」ができない。脳が新しい情報を保存するよりもずっと早く忘れてしまうのがレニーの前向性健忘症の症状だ。

記憶がこれ以上増えることがない。これが意味することは、残酷にも、レニーの中の世界は広がることは無い。レニーは忘れがたい最後の記憶、事件の日から抜け出せないのだ。

終盤では刑事テディから、既に復讐を成し遂げていたことが伝えられる。しかし彼はまたしても忘れ、更に自分をだますように、過去を捏造し始めた。自分の外にあるもう一つの時間、記録に手を加え始めたのだ。そして事件、妻の死の真実を知った後も、なおその記録すら燃やし、自分を利用したテディへの復讐のための記録を捏造し始める。「たとえ忘れてもやることに意味がある」と言って。

そしてレニーはテディを、事件の犯人として、過去の自分に騙されたまま、殺害する。そうして全てに「カタがついた」時、彼はまた記録を作り出すのだろうか。

レニーはあえて自分の過去を捏造し、記録に囚われることを良しとした。意味を認める外の世界さえも捏造するように。「記憶は自分の確認の為なんだ」「みんな そうだ」と続ける。記憶を忘れた彼は、記憶に確認され、妻を殺された(事実ではない)自分へと戻る。自分が永遠に囚われることを悟り、受け入れたのかもしれない。

私は恐ろしかった。過去から逃れられないことを良しとしたような、終盤の彼の、どこか前向きさを感じさせる顔が。

私にも外の世界はきっとある。目を閉じても、きっと。